スポンサーリンク

母の命日

雑記帳

母の命日が本当に9月27日なのかはわかりません。

糖尿の持病があったものの、命にかかわるようなことが起こるとは

全く考えていませんでした。

弟夫婦の赤ちゃんが産まれるのを今日か明日かと、心待ちにしていたのに

届いた連絡は母が亡くなったというものでした。

正しくは「亡くなっているのが見つかった」です。

 

あの日は遅番の仕事中、携帯に弟からの着信があったのを赤ちゃんが産まれた連絡だと思い、

仕事が終わったら折り返しかけよう、なんてウキウキしてました。

そろそろ母からも連絡が入っているかなと携帯を確認しにロッカーを

見に行くと、伯母からの着信がありました。嫌な予感しかしませんでした。

仕事中ですが、その場で弟に電話すると「母さんが死んだ」…

この言葉の意味が理解できずパニック状態。

たまたま上司がその場にいて状況を察してくれ、すぐに帰らせてもらい

子供達と駆けつけました。

母の家に向かう道中、母が亡くなった実感なんていう実感はなく、

「久しぶりにみんなでおばあちゃんちに遊びに行くんだ」くらいの

テンションの車中でした。

でも、深夜、母の家に着いても弟が待ってくれていただけ。

自宅で一人亡くなった為に警察で検死が必要だったのです。

その後、葬儀会社の方が遺体を少しでも綺麗な状態で葬儀まで保ってあげたいと

警察に掛け合ってくださり、手続きを急ぎ済ませることができました。

 

発見が遅くなってしまったのは残念な偶然の重なりでした。

それでも、ぎりぎり葬儀でみんなにお別れできる状態で発見できたのは

産まれてくれた赤ちゃんのおかげでした。

その子も今年小学1年生。

 

父が亡くなって7年一人で暮らして、父の享年と同じ68歳で逝きました。

両親が亡くなって、私が産まれた時のことを知っているのは誰もいない。

それはなんともいえず寂しい思いです。

 

母子ともに危険な難産で私を産んでくれた母でしたが、

なにかと体調がすぐれないことも多く、マイナス思考な発言も多くなりがち。

イラッとしてしまい、強い言葉で当たったりもしました。

まさかこんなに早く逝ってしまうなんて。

来年の春には二人目のひ孫が産まれるよ。

お父さんと二人で見てくれてるよね。

とりあえず私は二人の享年まで頑張って、その後はまたその時考えるよ。

 

秋は一番好きな季節だけど、二人の命日が続く9月最後の一週間は

ちょっとしんどい一週間になっちゃいました。

タイトルとURLをコピーしました